1. ホーム
  2. 周辺の史跡
  3. 高瀬川生洲

周辺の史跡

高瀬川生洲

これは安永9年(1780)に発行された「都名所図絵」の高瀬川の生洲の図です。 高瀬川は慶長19年(1614)に当時の豪商「角倉了以」が私財を投じて創った運河です。この川に高瀬舟を通し下りは京の石や材木などを伏見港まで運び、乗り継いで三十石舟で大坂へ。上りの舟は人力で引き大坂から諸国の塩や海産物などを京まで運びました。

この図では江戸中期頃から三条、二条間で栄えた生洲料理屋の図です。川に面した座敷があり鯉、鮒、鰻などの川魚や鴨などを店の生洲(高瀬川の水を引き込んだ)や庭に飼っておいて、客の注文に応じて料理を出し、大変繁盛しました。京の人のみならず、観光客も楽しみました。酒は出すが女人禁制で琴、三味線等の音曲も禁止で男性だけの清遊の場でした。図の右端、板の間の向こうに生洲があり魚が泳いでいるのが見えます。また、川柳か俳句でも競い合っているようです。

今もこの周辺には飲食店が軒を連ねていて、大いに賑わい生洲料理店の発祥の地です。